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リターン・トゥ・フォーエヴァー (Return To Forever)

リターン・トゥ・フォーエヴァー
リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)は、1970年代に活躍したアメリカ合衆国のフュージョン・バンド。チック・コリア(キーボード)とスタンリー・クラーク(ベース)を中心に結成された。

来歴
音楽的には、ラテン音楽から影響を受けた第1期、ギタリストを入れてロック色を強めた第2期、大編成のホーン・セクションを加えた第3期に大別できる。

第1期
マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)、『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)といった作品でキーボードを弾き、エレクトリック・ジャズの黎明期を担ったチック・コリアは、スタン・ゲッツのバンドなどで活動していたベーシスト、スタンリー・クラークを誘う。その他、ジョー・ファレル(サックス、フルート)、ブラジル出身のアイアート・モレイラ(ドラム)とフローラ・プリム(ヴォーカル、パーカッション)を加え、リターン・トゥ・フォーエヴァーは誕生した。なお、アイアートはマイルスの『ビッチェズ・ブリュー』でチックと共演した経験がある。また、チックの友人であり、サイエントロジーに傾倒している詩人ネヴィル・ポッターも、バンドに深く関わる。

1972年、『リターン・トゥ・フォーエヴァー』を発表。チック・コリアのソロ名義だが、実質的にはバンドとしてのデビュー作である。その後、チックとスタンリーとアイアートの3人は、スタン・ゲッツのアルバム『キャプテン・マーヴェル』に参加。また、アイアートのソロ・アルバム『フリー』に、チックとスタンリーも参加する。そして、セカンド・アルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』(1973年)発表。イントロにホアキン・ロドリーゴの「アランフエス協奏曲」のメロディを挿入した「スペイン」は、多くのアーティストにカバーされるスタンダード・ナンバーとなった。

第2期
ジョー、アイアート、フローラの3人が脱退し、バンドはビル・コナーズ(ギター)、スティーヴ・ガッド(ドラム)、ミンゴ・ルイス(パーカッション)を迎える。しかし、スティーヴとミンゴは短期間で脱退し、後任として、チックやスタンリーとは旧知のドラマー、レニー・ホワイト(ドラム)が加入。バンドは4人編成となる。サード・アルバム『第7銀河の賛歌』(1973年)は、ブラジル出身のメンバーの脱退と、ビルやレニーの加入で、ロック色が強まった。

そして、ビルに代わってアール・クルー(ギター)が一時的に参加するが、ほどなくアールに代わってアル・ディ・メオラが加入し、『銀河の輝映』(1974年)発表。黄金期と呼ばれることになるラインナップが揃った。5作目『ノー・ミステリー』(1975年)は、グラミー賞のベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス(グループ)部門を受賞。

その後、各メンバーはソロ活動を行う。アルは初のリーダー作『白夜の大地』を発表。チックは『妖精』、スタンリーは『慈愛への旅路』、レニーは『エロスの遊星』をそれぞれ発表。そして、バンドはコロムビア・レコードに移籍し、『浪漫の騎士』(1976年)を大ヒットさせた。しかし、これを最後にアルとレニーはバンドを離れる。

第3期
チックとスタンリーは、ジェリー・ブラウン(ドラム)、チックの妻のゲイル・モーラン(ヴォーカル、キーボード)、初期のメンバーだったジョー・ファレルを迎え、更にホーン・セクションを加えた編成で『ミュージックマジック』(1977年)発表。よりファンキーな路線に移行した。しかし、第3期のバンドのステージを収録した『コンプリート・コンサート』(1977年)を最後に解散。

再結成以降
1982年、アル・ディ・メオラ在籍時のラインナップで、期間限定の再結成が行われた。チックのアルバム『タッチストーン』収録曲「コンバトレス」で4人が共演し、また、1983年4月には来日公演も行う。

その後チックは、自身のエレクトリック・バンドで、第2期リターン・トゥ・フォーエヴァーの音楽性を継承した。……
(Wikipedia: リターン・トゥ・フォーエヴァー)